「いただきます」について。
昨日の夕方、授業前になんとなく激辛ラーメンが食べたくなったので、最寄りのラーメン屋に行った時。
店に入ると大学生のおそらくカップルが今まさにラーメンを食べようとしていた。
女は肩が丸出しのトップスで髪色は明るめのロング。どこにでもいそうなファッションだった。しかし、その表情や口調から
「私女友達少ないんだよね、男友達の方が楽だわー、女嫌いだわー」
と今にも言いそうな「自称マイノリティ女子」だとわかった。そういう女に限って「自称ガードが硬い」だが、下ネタに抵抗がないので簡単にやれそうと思いきや、本当にガードが硬いので世の男性諸君は気をつけた方がいい。
ちなみにこの手の女が友達だと思っている男たちはこの女のことを「やれそうでやれない少しやれるワイフ」程度にしか思っていない。
さて、男の方はというと。うーん、なんとも、五感で感じられる彼の全てがうだつの上がらない感じだった。
きっとシックスセンスを働かせてもうだつが上がらないのだろうからこれ以上彼の関連事項に私の貴重な脳内データ容量を喰わせるわけにはいかないと思い、代わりに「コンドームは今度産むって考えたやつ天才だなあ」と考えていた矢先の出来事。
女「いただきまーす!」
男、無言で食べ始める
女「ちゃんといただきますって言って!」
男「...(もごもご)、俺そういうのしない主義だから。キリスト教じゃねえし」
女「関係ないから!食べ物に感謝だよ!仏教にもあるよ!」
この偏差値の低そうな会話について。あえて女をモラルハラスメンティストとして批判することはここではよそう。
ところで、『君はファミチキを食べるときに「いただきます」というだろうか』。
私は言わない。言っている人を見たこともない。しかし女の論理によると、食べ物に感謝してラーメンにもファミチキにもうまい棒にも「いただきます」は言うべきなのだが...。
ここで「食べ物に感謝」とかいって「いただきます」って言えば死んだ動植物に許してもらえるって思ってるのは人間のエゴじゃないか、みたいな話は置いておいて。
「いただきます」の有無の線引きはどこで決められているのか。この答えはシンプルだ。一人で食べるときは「いただきます」と言わない。同じ食卓に例えば家族や友人、恋人がいるとき、近くにシェフがいるときなどは「いただきます」と言うのだ。実は「いただきます」は食べ物に対して言っているわけではない。これから食べるという旨を他者に宣言する行為なのだ。
そして、その宣言を怠るということは他者の許可を得ることなく食べることになってしまう。だから女は男に怒ったのだ。私の許可なく食べるな、と。
なんとも穿った見方であることは重々承知。
では。
追伸:男はベッドで「いただきます」といえばきっと許してもらえるのだろう。