すばらしい乳房だ蚊が居る
″すばらしい乳房だ蚊が居る″
実はこれ、″せきをしてもひとり″でお馴染み、尾崎放哉の句だ。
自由律俳句のパイオニアといえど、先駆的過ぎる名珍句である。
尾崎ってエッチだね、みたいな話をしたいのではない。今回は、この句が詠まれる文脈や尾崎に関する前提知識を何も知らないまま二つの解釈を提示したい。
1.蚊がいるからすばらしい乳房だと思ってる
尾崎の美的センスが異端であることを表しているのだろうか。あるいは博愛主義者の尾崎が蚊にさえ乳を吸わせる女の優しさに感銘を受けているのか。あるいは蚊も吸いたくなるほど美味そうな乳房なのか。
いずれにせよ、尾崎がすばらしいと思う乳房には蚊がいるという解釈だ。変態である。
2.すばらしい乳房だと思ってたら蚊がいた
あゝ、君の乳房はなんてすばら…蚊が居る!!
ノリツッコミのようなテンションである。
私は後者の解釈が好きだ。エッチな気分で乳房を見つめてていたら、その余韻をぶち壊す小さな蚊の存在に静かに、そして瞬時に萎えゆく尾崎の尾崎をありありと表現しているすばらしい句だと思いたい。
ところで以前、友人と酔っ払いながら街を歩いていた時。道路にマックのポテトの箱みたいなやつが捨てられ、車に轢かれてペシャンコになっていた。それを見た時思わず、
「マックが死んでいる」
と呟いた。これは自由律俳句だったんだな。
ありがとう!尾崎放哉!